寝不足

ジャニオタです

イヤホンは消耗品だ


そう思い始めたのはつい最近である。ことの発端は今年の3月、iPodを失くした。そしてそれは今現在も見つかっていない。


私はiPhoneユーザーであるが、音楽はiPodで聴く派だったため、常にApple社製品をふたつ持ち歩いていた。基本的に朝から晩まで常に音楽を聴いていたい人間だったので、iPodを失くしたことに対するショックは大きかった。今すぐにでも新しいiPodを購入したかったが、幸か不幸かその時の私は金欠だった。

そして私が下した決断は「iPhoneに音楽を入れる」ことだった。そもそも私は画像で容量をパンパンにしてしまう人なので、音楽に容量を取られたくなかったのがiPodiPhoneに分けていた最大の理由だった。しかし金はどうしようもならなかった。iPod本体は消えたが、使っていたイヤホンはなぜか残っていたのでそれをiPhoneにぶっ刺して使うことにした。ちなみにこれはiPodを購入した際に付属品として付いてきたものだった。


4月、とあるK-POPアイドルのコンサートで横浜を訪れた。私は桜木町という街が異常に好きで、横浜でコンサートがあるたび2時間程度ふらふらと桜木町を散歩する。その日は赤レンガの中にある飲食店で昼食を食べたあと、ふたたびふらふらと散歩をしようと思っていた。イヤホンを耳に挿し、再生ボタンを押した。何も聞こえなかった。壊れたと思った。
そこからの私の行動は早かった。真っ先に適当な家電量販店を調べた。コンサート会場は横浜アリーナだったので、横浜アリーナ周辺で検索した結果、新横浜駅と直結してビッ◯カメラが入っていたので、散歩なんて忘れて新横浜駅に向かった。
しかし今調べてみたらみなとみらいに家電量販店(コ◯マ)があったそうだ。そこに行ってたらもっと散歩出来たのだ。

横浜駅のビッグ◯メラでは千円ちょっとの安物イヤホンを購入した。そんなに高いイヤホンいらないだろうという判断だった。

しかし6月、そのイヤホンは壊れた。ブツブツ音が切れるなと思ったら最終的に聞こえなくなった。ふざけるなと思った。
家にiPhone購入時に付属でついていたイヤホンが生きていたのでそれをとりあえず使うことにした

のだが、9月中旬残念ながらそいつも片耳が聞こえなくなってしまった。
私は自分が相当なイヤホンの壊し屋であることは自覚していた。イヤホンの正しい使い方、ダメな使い方のまとめも読んだくらいだ。

私は再び新しいイヤホンを買った。今度は少し高級なものにして、まとめサイトに載っていた壊れにくいタイプのものを選んだ。


そして一昨日、私はそのイヤホンの再生ボタンが壊れていることに気付いた。そして音が時々聞こえにくくなることにも気付いた。

悲しくなった。私は一体イヤホンをどれだけ壊すのだろう。
もし街で私を見掛けたら、イヤホン壊しの天才とでも呼んでください。

今日も私はいつこのイヤホンから岡田くんの声が聞こえなくなるのだろうとビクビクしながらユメニアイニを聴いている。

グッバイ、ティーン

 

 

 

私は今日をもって10代を辞める。強制終了させられる。

明日が私の20回目の誕生日だ。

 

私が初めてアイドルを好きになったのは2008年9月。当時Hey!Say!JUMPの4人のメンバーが出演していたスクラップティーチャーというドラマで知念侑李くんに一目惚れしたのだ。それまでアイドルなんて毛嫌いしていた自分にとってそれはきっと運命的な出会いだった。12才だった。

 

そして今、この瞬間も私はアイドルが好きだ。飽き性なので好きなアイドルは幾度と変わった。しかし、根本にある「アイドル」と呼ばれる人たちが好きなことは7年間変わらなかった。

振り返れば10代の自分の生活のそばには常にアイドルがあった。悲しいことに彼氏は一度も出来なかった。別に悲しくない、負け惜しみでなく悲しくない。そう思えるぐらい私の毎日はアイドルのおかげで充実していた。

 

 

2008年12月24日、初めての担降りをした。Myojo2009年2月号、Hey!Say!JUMPの巻頭ページ、薮宏太くんの笑顔に一瞬で心奪われた。初めて入ったコンサートは2009年のHey!Say!7単独コンサート。FCは当時まだ無かった。新聞に一般発売の広告を見つけ、2時間必死で電話を掛け続けた。

コンサートでは目の前にいる7メンバーよりHey!Say!BESTの映像に興奮した。薮くんを応援していくことに決めた。彼が私にとって初めて「担当」と名乗り、全力で応援したアイドルだった。

初めて薮くんを見たコンサートは2009年夏の通称天国コンだった。めちゃくちゃ遠いところで薮くんがマイエブリチング歌ってて、MCがやたらとおもしろかった記憶がある。これ以降私がJUMP担を辞めるまでおよそ10公演に参加したが、天国コンは演出や楽曲、ソロともに最高だった。TTTとかあのへんの名曲が生まれたコンサートだった。

 

そして2011年6月、事件は起きた。メンバーが一人活動休止を発表した。苦しかったし悔しかった。こんなファンでも10人が好きだった。SUMMERYの記者向けの公演で薮くんが謝罪した。頭を下げて謝罪した。私はSUMMERY参戦のおよそ1ヶ月後、JUMP担を辞めた。

 

別に自担が謝罪したから担降りしたわけではなかった。

少年倶楽部を見ていて異常に顔が整った男の子が踊っていた。それが後にSexy Zoneのセンターとなる佐藤勝利くんだった。With youをシャカリキに踊る彼から目が離せなかった。そして翌週の少年倶楽部の「secret」と囁く彼に、一個年下の彼にやられた。その後すぐにデビューが決まった。そうなれば雑誌の露出が増え、TV出演も多く決まった。ファンも瞬く間に増えた。それと同時に私は自分の気持ちが冷めていった。

デビューCDは8枚買った。握手会にも行った。でも一度握手をしただけで満足し、フォロワーさんに握手券を何枚か譲って家に帰った。

 

当時を知っている人はきっとあの売り方を肯定的に見る人はいないだろう。自担がつらくて泣く姿を見たくなかった。1位をとった後は何となく彼を追うことはなくなった。

 

 

そのあと私が不意にはまったのはK-POPだった。SUPER JUNIORにはまった。SSにも4以降参加し、KRYの2012年もあの倍率の中神戸まで駆けつけ、入隊を見守り除隊を待った。待っている間に違うアイドルにはまったのでSJペンは今年のKRYコン参戦と同時に卒業した。

 

 

好きなアイドルは幾度となく変わった。この記事の最初に書いた言葉だ。

別に後悔はない。いろんな現場に行けたし良い出会いも悪い出会いもあった。オタクやってなきゃ出来ない経験も出来た。失ったのはお金だけだった。

 

 

今日で10代を辞めることになる。10代最後の現場はV6で、20代最初の現場もV6だ。

いつからかオタクを辞めたいと思うことはなくなった。いつからかアイドルが好きなことが当たり前で生活の一部になっていた。辞めるという概念がないのかもしれない。

だからきっと20代の自分もきっとアイドルが好きだ。

でもそろそろ彼氏とか言うものもほしいものだ、バイト先のリア充の皆様方の話題についていけない。

 

 

なにはともあれ19だろうが20だろうが私は私で、オタクはオタクだ。

ただ自分の10代最後の文章を残しておきたかっただけの記事だった。

 

20代のクソアイドルオタクをよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

決意表明






今からちょうど4年前になるが、当時死ぬほど好きだったジャニーズアイドルのファンを辞めた。
嫌いになったわけではなかった。ただ彼より好きなアイドルが出来た。しかし彼より好きと思ったアイドルにわたしはそれほどのめり込めずなかった。そんなわたしの目の前に現れたのはK-POPアイドルだった。それと同時にわたしはジャニオタから足を洗って、きっとこの場所には二度と戻ってくることはないだろうと思った。


それから4年経った今でもK-POPアイドルのファンを続けている。応援しているアイドルは変わったが、それ以外は特に変わらず相変わらずアイドルが生活の中心だった。K-POPアイドルが大好きで、彼らの音楽が何よりも大好きだ、それはずっと変わらない。


9月19日土曜日
わたしは横浜にいた。正確には横浜アリーナにいた。
自分が一番びっくりした。もう二度と来ることがないと思っていた現場だった。ただ行かなきゃ後悔するという気持ちだけでわたしはチケットを握りしめ、遥々横浜にやってきた。

そう、V6のコンサートにやってきた。



キッカケは単純だった。ただ岡田くんの出演する映画をふと見て、かっこいいなあと思った。
偶然に偶然が重なって、ちょうど応援するK-POPアイドルの活動がまったくないことで熱を失っていたわたしは、岡田くんの出演作品を見てみようと思った。興味本位だった。

興味本位が罠だった。岡田くんに留まらず、V6の罠に引っかかった。
速攻でわたしはTSUTAYAに走り、置いてあるアムバムをかたっぱしからレンタルした。SPやら喰いタンやらメンバーが出ているDVDもとりあえずたくさん見た。24時間テレビのときは日曜日のバイトを無理を言って断った。
そして、ツアーに参加したくなった。地方住みで、近い会場は名古屋だった。しかしわたしは10月まで待てる気がしなかった。横浜アリーナの初日なら行ける、その前の週K-POPアイドルのコンサートで東京だけど行く。行かなきゃダメだ。

直感だった。チケットを買って、新幹線も帰りの夜行も抑え、親の反対も押さえ込んで横浜アリーナに向かった。


公演に入るまで、自分は担当という言葉にどうしても疑問があった。使っていいのか、という疑問が。
担当と名乗ってしまうと、自分のすべてをかけて彼を応援しなければいけない気がしていたからだ。自分にはまだその覚悟がなかった。

でもコンサートを見て何かが吹っ切れた。アイドルの彼はとても綺麗でかっこよかった。その日の公演後、何かに駆られたようにその場でFCに入会した。

もう二度と担当という言葉を使うことも、ジャニーズの現場にもFCにも入らないと思っていたのに信じられないなあ、と思いながら5000円支払った。

もちろんK-POPアイドルとの掛け持ちだ。しかし、長年オタクをやっていると気付くのだが、自分はどうも掛け持ちとか出来ないタイプなのだ。だから今後どちらか一本になるかもしれない。
でも好きなものを好きなだけ応援するのが自分の中のポリシーなのだ、好きなだけ両方応援する。

そういうわけかどういうわけか、わたしはちょうど一週間前から岡田准一担当を名乗っている。
担当になった経緯や理由はブツブツ書くのが嫌いなので大目に見てください。
ただ、俳優をしている彼がキッカケではあったが、アイドルをしている彼をもっともっと見てみたいと思ったのが理由のひとつだということは言っておく。



岡田准一担当デビュー後初の現場は来月の名古屋公演だ。まだ1ヶ月ほど先の話だが、全力で楽しもうと思っている。