寝不足

ジャニオタです

グッバイ、ティーン

 

 

 

私は今日をもって10代を辞める。強制終了させられる。

明日が私の20回目の誕生日だ。

 

私が初めてアイドルを好きになったのは2008年9月。当時Hey!Say!JUMPの4人のメンバーが出演していたスクラップティーチャーというドラマで知念侑李くんに一目惚れしたのだ。それまでアイドルなんて毛嫌いしていた自分にとってそれはきっと運命的な出会いだった。12才だった。

 

そして今、この瞬間も私はアイドルが好きだ。飽き性なので好きなアイドルは幾度と変わった。しかし、根本にある「アイドル」と呼ばれる人たちが好きなことは7年間変わらなかった。

振り返れば10代の自分の生活のそばには常にアイドルがあった。悲しいことに彼氏は一度も出来なかった。別に悲しくない、負け惜しみでなく悲しくない。そう思えるぐらい私の毎日はアイドルのおかげで充実していた。

 

 

2008年12月24日、初めての担降りをした。Myojo2009年2月号、Hey!Say!JUMPの巻頭ページ、薮宏太くんの笑顔に一瞬で心奪われた。初めて入ったコンサートは2009年のHey!Say!7単独コンサート。FCは当時まだ無かった。新聞に一般発売の広告を見つけ、2時間必死で電話を掛け続けた。

コンサートでは目の前にいる7メンバーよりHey!Say!BESTの映像に興奮した。薮くんを応援していくことに決めた。彼が私にとって初めて「担当」と名乗り、全力で応援したアイドルだった。

初めて薮くんを見たコンサートは2009年夏の通称天国コンだった。めちゃくちゃ遠いところで薮くんがマイエブリチング歌ってて、MCがやたらとおもしろかった記憶がある。これ以降私がJUMP担を辞めるまでおよそ10公演に参加したが、天国コンは演出や楽曲、ソロともに最高だった。TTTとかあのへんの名曲が生まれたコンサートだった。

 

そして2011年6月、事件は起きた。メンバーが一人活動休止を発表した。苦しかったし悔しかった。こんなファンでも10人が好きだった。SUMMERYの記者向けの公演で薮くんが謝罪した。頭を下げて謝罪した。私はSUMMERY参戦のおよそ1ヶ月後、JUMP担を辞めた。

 

別に自担が謝罪したから担降りしたわけではなかった。

少年倶楽部を見ていて異常に顔が整った男の子が踊っていた。それが後にSexy Zoneのセンターとなる佐藤勝利くんだった。With youをシャカリキに踊る彼から目が離せなかった。そして翌週の少年倶楽部の「secret」と囁く彼に、一個年下の彼にやられた。その後すぐにデビューが決まった。そうなれば雑誌の露出が増え、TV出演も多く決まった。ファンも瞬く間に増えた。それと同時に私は自分の気持ちが冷めていった。

デビューCDは8枚買った。握手会にも行った。でも一度握手をしただけで満足し、フォロワーさんに握手券を何枚か譲って家に帰った。

 

当時を知っている人はきっとあの売り方を肯定的に見る人はいないだろう。自担がつらくて泣く姿を見たくなかった。1位をとった後は何となく彼を追うことはなくなった。

 

 

そのあと私が不意にはまったのはK-POPだった。SUPER JUNIORにはまった。SSにも4以降参加し、KRYの2012年もあの倍率の中神戸まで駆けつけ、入隊を見守り除隊を待った。待っている間に違うアイドルにはまったのでSJペンは今年のKRYコン参戦と同時に卒業した。

 

 

好きなアイドルは幾度となく変わった。この記事の最初に書いた言葉だ。

別に後悔はない。いろんな現場に行けたし良い出会いも悪い出会いもあった。オタクやってなきゃ出来ない経験も出来た。失ったのはお金だけだった。

 

 

今日で10代を辞めることになる。10代最後の現場はV6で、20代最初の現場もV6だ。

いつからかオタクを辞めたいと思うことはなくなった。いつからかアイドルが好きなことが当たり前で生活の一部になっていた。辞めるという概念がないのかもしれない。

だからきっと20代の自分もきっとアイドルが好きだ。

でもそろそろ彼氏とか言うものもほしいものだ、バイト先のリア充の皆様方の話題についていけない。

 

 

なにはともあれ19だろうが20だろうが私は私で、オタクはオタクだ。

ただ自分の10代最後の文章を残しておきたかっただけの記事だった。

 

20代のクソアイドルオタクをよろしくお願いします。